ダビデ VS ゴリアテ

今ずっと聴いているのはGold PandaのNew Albumです☆ゴールドパンダ、と聴くと、金色のパンダChangではなくてパンダ金魚を想いだすわたし・・・★☆★

Half of Where You Liveリアル・スティール”を観ました☆こんなにいい映画を借りっぱなしにしていた自分をカバ!とただひたすら罵るしかありませんでした。
ヒュー・ジャックマン演じるチャーリーの名前が、こころの中で“ヒュー、ヒュー!”と想い続けていたせいで、最後まで憶えられませんでした。マックス君の戦法には痺れたし(子どもなのに勝つ戦い方を知っているんだもの!!いえむしろ子どもだからシンプルに知っているのかも)そしてベイリーが、最高にいい女でした・・・★☆★

Gooooood nite!
yuko


3つまえの日記からすこし考えていたのですが・・・

どちらにしても、その瞬間の生の感情が生むものやぬくもりというのが重要で、しかし生きていると視界がある対象物に絞られて狭くなっていることもあるし、俯瞰のように眺めているようなこころもちになっているときもあって、一概になにが・・・とは誰もいえないのだと想うけれど、どちらにしろ美しいとは、完成度が高いとは(これはあるかも☆)、と形のように決まっているものではなくて、そして生の感情よりも美しいとはこういうもの、という決まっているかのような形が優先されると、そこには途端に生きている大事な何かが存在しなくなったり、うすれてしまったりするのかも知れないな・・・と想う。
用意されてる“予定調和”にグッとこないのと、綺麗な風景があらわれると約束された場所でその風景を待ってシャッターを切った写真にグッとこないことは、同じ質のものなんだとふと気づく夜。フィクションで計算して画面を創っていく場合は、イマジネーションが優先されているから別なのかも・・・??


すごくまとめると、想いの強さっていうことなんだと想う。
もしかしたら、被写体との近さっていうことでもあるかも。


あたりまえのようなことだけれど、誰かに教わるのではなくて、自分で答えにたどりつくのがきっと大切なんだろうなとふと想ったりもするのです。

ここしばらくいろんなことを書いてきたけれど、わたしが今いる場所が、極端にいえば“わたしじゃなくてもいい”場所だから本当のところとは別のことを見ていたのかも知れないな☆

本当のところは、アートに関しては、自分じゃなければできないこと。
(そうでなければ、この世界に生まれてきた甲斐がない★)

そして、それと関係ない場所にいて関係ないことをしていても、誰も自分が望む軌道に乗せてくれるような奇跡は起こらない。
現実にその方向へ、動くことが大事☆

しかし、そういうときによみがえってくるのが、ある大先輩のイラストレーターの方の、“イラストレーターはいつも楽しい気分でいなければならない”っていうお言葉です☆
世界の、もしかしたらこころの奥にある・・・宇宙とつながってさえいるかもしれない神様の領域の、芸術の神様のエリアに漂っているおちゃかなをつかまえて戻ってくるのだとしたら、それを外に出す自分というフィルターは、いびつだったり、汚いものであってはイケナイのかも知れない・・・☆(でなければ公害になってしまうから)。

ブルドーザーで職人がガガガ、ってやったものより、創るのが好きでたまらない子がシャベルで夢中で掘ったもののほうが魅力的なのと同じ、かも知れないなぁ・・・*(*v_v*)*
すこし考えていたにしては、長すぎる文章になってしまってごめんなさい・・・☆
読んでくださった方、どうもありがとう…